療養日記 -保護猫生活-

5月病をなんとか乗り越えて(いるのか…?)とりあえず今日も生きております。

職場では体調を崩してお休みしている方もいるとのこと。

皆さんもお身体に気をつけてお過ごしくださいね。


さて、今日は「引きこもっていた」私が働き始めて感じたさまざまな困難についてお話ししようと思います。

長期間お休みをいただくということは、体や心の回復をするということ。

ですが、社会との関わりが長期間絶たれると様々な弊害があることもわかりました。

まずは「言葉が出てこなくなる」ということ。

家族や友人、恋人とは会話をしていましたが、社会的な会話は全く別ものなんです。

敬語が出てこなくなったり、簡潔に答えたいのに吃ってしまったり、挨拶すること自体ものすごく緊張したり。

あと、私の悪い癖の一つに、緊張や不安があると極端に猫背になるというのがあって、今の職場では何も言われませんが、前職では復帰した際によく注意されました…。

それから、実際働き始めて感じたのは、他人に対する不信感が以前より大きくなっているということ。

周りの人たちのちょっとした言動にものすごく敏感になって、全然気にすることじゃないのに

「あの人は私のこういうところを気に食わないと思っているんだ」

「きっとこれは私に対する嫌味なんだ」

と、歪んだ捉え方になっていることに気づきました。


「こんなんで私は生きていていいのだろうか」と、自分と社会のギャップを感じてネガティヴになることも度々あります。

でも、最近ちょっと面白い思考を思いつきました。

それは「私は人に慣れるために頑張っている保護猫だ」と思うことです。

ずっと1匹で必死に生きてきた猫が、人に慣れるまでの過程だと思ったらなんだか自分が可愛く思えて。

療養というのは聞こえはいいけれど、実際精神を病んで1人で生活するということは本当に辛いものでした。

例えるならば「大嫌いな人と2人きりで生活し続ける」ような感覚です。

働けない自分のことが嫌いだったり、受け入れられないでいるということはそういうことなんです。

だから、そんな過酷な療養期間を経てなんとか保護された(雇ってもらった)自分に必要なのは、「自分は1人じゃないんだ、と思える場所」を見出すことなのかなと思っています。


私は猫自体飼ったことがありませんが、私がよく見てる保護猫ちゃんのインスタでは、自らすり寄るようになるまでに7ヶ月かかったとか。

大好きな保護猫さんの7ヶ月の記録

だから「急いで慣れなくちゃ」と思わずに、気長にいきましょう。

きっと、ほんの少しずつ良い方向に向かっていると信じて。

自分をとびきり可愛い猫だと思って、日々の自分の体や心を観察してみようと思います。

おわり

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