ここ数日、生理でイライラが止まりません。
頭ではわかっているんですが、感情をコントロールできなくてブログは昨日書けませんでした。
そしてこんなとき、言われて悲しかったこと、むかついたこと、嫌だったことを思い出すんです。
見たこともないのに「タイピング遅いでしょ?」と勝手に私の代わりに打ち始めた同期。
パニック発作を起こしたときに「そんなんじゃ社会人になれないよ!」といってきたバイトのお局。
「ええ、そんなのにハマってるの?」と好きなグループを罵ってきた知り合い。
「あなたは自信がないんだよ」と私だけ居残らせて圧迫面接を始めたあの面接官。
「姿勢が良かったらもっといいのに。」と初対面で言ってきた男の先輩。
きっと全部あげていったらきりがないし、「あいつ、むかつく」とか書いたところで気分はすっきりしないので、今の私の言葉を代弁してくれている歌を見つけてきました。
それが、星野源さんの「灯台」という歌。
星野源さんとオードリー若林さんが悩みについて語り合うNetflixの番組「LIGHT HOUSE」の最初の回のED曲です。
裏声と低い声を交互に入れた大胆な歌い方で、それでいて「夜のボート」のようなゆったりとした流れが心地よい曲です。
この歌の低い声で歌っている部分が私の心の奥底の本音を言ってくれているように感じるのです。
息ができず飛び出した
鼠の匂い満ちた
路地裏を走った
何にも何もない
お前ら全部死ねばいいと
ブランコで揺れた
春を見上ぐ雲間の
奥に光る星
無理やりすでに持たされた
夢を入れる箱を
急いでいれなくちゃ
何にも何もない
君は若くていいねなんて
知らねえよカスが
もし僕が明日死んだら
それが一生なんだ
ああ、自分で言いたくても言えないことを、源さんははっきり言ってくれるな。
こんなこと思っていてもいいのだろうかって自分が嫌だったけれど、源さんも若林さんも思っているのか、ああ私だけじゃなかった。笑
私は見た目で勝手にイメージを持たれることがよくあります。
「丁寧な暮らしをされていますね」という言葉も正直自分自身とのギャップを感じます。
番組の中で源さんが
「本当の自分はそうじゃない、と毎度毎度自分に貼られたレッテルを剥がしている」
ということを言っていて、すごくわかるなって。
自分が伝えたい思いや自分のやりたいことが周囲に理解されないのは結構悲しいんですよ。
色んな国の人にもわかるようにと、英語でインスタライブをやったら日本人の知り合いに「うわ英語だと思って見るのやめた」と言われたり。
流行に遅れて鬼滅の刃にハマっていた頃に「鬼滅の刃なんてもう廃ってるよね」と言われたり。
「女の子は顔出しした方がいいよ」と動画にアドバイスされたり。
「自分って周りから見たらそういうイメージなのか、そういう人になった方が楽なのかな」
とか思ったりしますが、本当の自分じゃないから苦しくなります。
だから周りに対する恨みが募ってくるというか。
気づいたら卑屈な自分が心の奥にできあがっていました。
私がなぜ源さんが好きなのかというと、私と同じく卑屈なところがあるから。
若林さんもそうですが、誰かをひがんだり、世の中を恨んだり、どうしようもない世の中だということを知っている、そういうところが「人間らしいな」と思うんですよ。
悩んでいる人に綺麗ごとをいうんじゃなくて、そういう難しい感情や複雑な気持ちがあってもいいと思わせてくれる二人の生き方が私は好きです。
だから、私は完璧なものを作ろうとは今は思っていません。
見ている人が「丁寧な暮らしで憧れるな」と思うのではなくて、「ああ、くそな世の中だけどもうちょっと生きていてもいいかな」って思えるような、そんなものを作りたいです。
それは映像としてなのか、文章としてなのか、ラジオとしてなのか。
それはまだわかりませんが、自分の嫌な陰気な気持ちをこれからも作品にしていこうと思います。
おわり